
センスがある人とない人との差は?
センスがないことを才能の差として諦めるしかないのか?
そもそもなぜ同じ練習量でスキルに大きな差がつくのか?
それはひと言で言いますと
"エネルギーの流れに対する感覚の有無"です。
同じ動きをしていても、その人がエネルギーの流れを捉えられているかどうかで、全くの別物になってしまうのですね。
”受信力”と”発信力”
この漠然としたエネルギーに具体的にアプローチする上で大事なことが「 適切な身体認知力 」が働いているどうかなんですが、ここではそれは二つの意味があります。それは”受信力”と”発信力”です。
”受信力”とは他人の動きを見るだけで、身体のどこをどう使うかがわかるミラーニューロンの働き、または実際の動く際に不自然なところに気づいたり気持ちよくないと捉えられる力、さらに皮膚感覚や自分の体の部位の重さ、相手や物からの負荷を付加を受け止める感覚が含まれます。
”発信力”は動く際に思った通りに神経回路に信号が適切に送られているかどうかという力になります。腕を肩の高さに上げてるつもりが少し下がっていたりすることがあったりしますね。
さらに受信発信ともに影響しているのが自分の身体の構造に対する認識力いわゆるボディマッピングの正確性となります。
ボディワークなトレーニング
⇄トレーニングの中に潜むボディワーク
ここを切り開いたボディワークはリハビリでもトレーニングでもない身体認知力教育的な身体の土台に目を向けた分野になると思います。
hilotesは身体の土台に目を向けている点ではボディーワークと同じなのですが、同時に逆方向からの考え方も共存させているのです。
どういうことか?様々な分野の競技技術は表面的に異なった動きに見えても、その”エネルギーの発生のさせ方、流れ方”は、人間の身体構造と意識、そして地球の重力との関係から生み出されたものであり同じわけです。
例えば、日本舞踊と野球の動きは共通していて、相撲とモデルウォーキングも実は共通している。笑
ボディワーク的なの質を高めながらも、競技技術全てに共通するエネルギーの発生のさせ方、流れ方の質を高めていくことで、身体の土台の質も自然と高まっていくというのがhilotesの最大の特徴といえます。
これがボディワーク的なスタンスの場合、身体の土台の質がどこまで高まったら、競技技術の質が上がるかよく分からないし、それほど上がらないかもしれない。ヨガやピラティスにしても、実は他の多くのトレーニングがこの問題を抱えています。
すべて同じこととして行う
ただし単に競技技術を磨くのとは全く異なります。大事なことは色々と違ったことをしていても”全て同じこととして行うこと”なんです。そうしませんと、身体の土台の質が高まることはありません。競技技術が上手な人が、身体の土台の質が高いわけではないのです。ですから、反復練習で型を体に覚え込ませるような意識でトレーニングするのは禁物です。それは感覚を遮断する行為です。
反復練習する際は、毎回新しいことをするように臨む必要があります。受信力、発信力を高めるとは、身体感覚を高めることです。それがこれまでと違った上達の道を辿る力になります。
さらに、精神論いわゆるメンタルの一言で片付けられがちな意識、感情といったことも、身体論として具体的に捉えることが、生まれ持った「 センス 」を乗り越える力になっていくのです。



